和田義信によって築城された「和田城」

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和田義信によって築城された「和田城」
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(高崎城 群馬県高崎市)
正長元年(1428)和田義信によって築城された「和田城」が始まりとされる。永らく和田氏の居城であったが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城している。慶長二年(1597)井伊直政が和田城跡を改修し、旧地である近隣箕輪城から社寺を移築するも、慶長五年(1600)近江佐和山に転封となった。以後、慶長九年(1604)下総臼井から五万石で酒井家次入封、元和二年(1616)越後高田十万石で移封。戸田松平康長が常陸笠間から二万石で入封、元和三年(1617)信濃松本へ移封。藤井松平信吉が常陸土浦から五万石で入封、元和五年(1619)丹波篠山へ移封。下総小見川から安藤重信が五万六千石で入封、養嗣子の重長(重信の外孫)と、その子重博が継ぎ、安藤氏の三代で高崎城が拡大された。また重長のとき、徳川忠長が所領の駿河を没収されてこの地に幽閉され、寛永十年(1633)城内で自刃した。元禄八年(1688)重博は六万五千石で備中松山へ移封。下野壬生から大河内松平輝貞が五万二千石で入封、宝永七年(1710)越後村上へに移封。相模厚木から間部詮房(まなべあきふさ)が五万石で入封、享保二年(1717)越後村上に移封。再び松平輝貞が入封。以後、輝規、輝高、輝和、輝延、輝承(てるよし)、輝徳(てるあきら)、輝充(てるみち)、輝聴(てるとし)、輝聲(てるあき)と大河内松平氏が続き、明治維新を迎えた。
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